【躁鬱】病気になって言われて辛かった言葉。善意からのアドバイス含め
風邪がだいぶ良くなってきました。 寒いので皆様もお気をつけて〜。
今回は、精神疾患になった時に言われて辛かった・悲しかった言葉を振り返りつつ、言われた言葉をそのまま真に受けて落ち込んでしまう傾向があるので、どうすればいいか頭の整理も兼ねて書いていこうと思う。
運動すれば治るよ!
運動といっても、たいがいインドア的なヨガとかじゃなくウォーキングやジムや筋トレを勧められるのだ。
視線恐怖症もある私にとって、ジムはどこもかしこも視線から逃げられないという最悪な場所だった。
鬱状態による身体症状も相まって、めちゃくちゃ辛かった。
少し頑張って通ってみたものの、周りの視線が気になって運動して疲れるというより脳が疲れた。
着てきたスポーツウェアが変でないか気になるし、体力が無くて長時間運動出来ないのに、周りの運動バリバリやってる人に変に思われたくないので、やり過ぎて倒れそうになった。
途中で休憩をとることも恥ずかしさから出来ず、吐き気がするまでエアロバイクを漕いだ日にはヨロヨロとおばあさんみたいになって前屈みになりながら帰った。
ジムの教室に参加してみたこともあるが、ぜんぜん楽しくなかった。
いつ具合が悪くなってパニックになるか分からない。頭の中は恐怖や不安でいっぱいだった。
毎日1時間散歩を頑張っていた頃もあったが、心因性頻尿をぶり返しまた食欲不振になり体重が減りすぎたのに行かなくてはというプレッシャーから睡眠薬を飲みながら散歩するというおかしな行動をしていた。
すると、やりたくないから症状がでるんでしょう?やりたくないパフォーマンスでしょ?
と言われた。
…かなり傷ついた。
運動すれば治るは一理あるかもしれない。
けれど、全ての人には当てはまらないと思う。
運動は健康にいいが、私が病んでるのは心。
体力がないだけでなく、色々な不安症状があり複雑なのだ。
もう少し、症状が良くなってから始めるなら良いと思う。
その人その人のベストタイミングがある。
私は自宅でヨガをしたりバランスポールをしたりするのが合っているし、気持ちいいと思えるので、それが今のベストだと思っている。
病気を治す努力をしていないから治らないんじゃない?
これを言われるのはすごく悲しい。
努力をしている=他人に見える形
にならないから、どうしても理解されない。
毎日どうしたら治るのかばかり考えている。これも頭でっかちと思われがちだ。
側から見れば病院へ通い、薬を飲んでいるだけのように見えるのだろう。
また家でダラダラと寝てるだけに見えるのだろうか。
双極性障害(私は二型)は感情の波を穏やかにすることが重要だ。
また、マイナス思考になりやすいか、間違った認知をしていることがあるのでそれに気をつけることも重要だった。
0か100でしか考えられない極端な思考になりやすく、一度何かに失敗すれば全てが駄目になってしまうという思考が付きまとう。
物事を多方面から見ることを心療内科の先生に教わり、たくさんの本を読んだ。
今日の点数をつけるならば、50点でも30点でも5点でもいいや!と思うことを心がけた。
病気を発症する前、電車で目を瞑ることも、足を一センチでも開いて座ることが出来なかった。
なんとなく下品だと思っていたからだ。
いつも体が緊張していて、ぴったりと足を揃えて座らないと変だと思っていたし、電車で居眠りするなら勉強すべきだと思って本をいつも見ていた。
テストの点数が低かったら、毎日睡眠時間を削って勉学に励むべきだし、疲れて食べ物が喉を通らなくても食べずに頑張るしかないと思った。それが当たり前だ!と。
そうしてるうちに、駅で倒れた。 足がガクガク震えて、気が遠くなりそうだった。
立ち止まって助けてくれた人に駅員さんを呼んでもらって、駅の休憩室のベッドに寝かせてもらった。
これが、一番はじめの症状。長い病気との闘いのスタートだった。
でも、今はどうだろう?
電車で寝れるし、足を組んだりと姿勢もそれほど気にしなくなった。
疲れたら、休憩するし好きなものを食べる。別に下品でもズルでもさぼりでもない。
一度失敗どころか失敗ばかりで今日の点数なんてつけようものならマイナス50点だけど、まあいいや〜って思える頻度が増えた。
認知行動療法をして、こう思えるようになったんだ。
努力という言葉はあまり使いたくないけど、努力したからこう思えるようになったと言えるんじゃないかな。
頑張ったんじゃないかな。
とにかく、自分で自分を認めるしか無いのでそういう意味でもブログに書き出してみている…。
好きなことは出来るんだね
私の趣味はあまり好印象を持たれない。
二十歳ごろに趣味でデジタルで絵を描いていた。
そうすると、それは出来るのに体を鍛えたり病気を治すための努力はしないの?と言われる。
またゲーム好きで、これも遊んでるとしか思われなかった。
家で映画を観るのも、好きなロックを聴いていても、あれ?気力があるのではないか?この人は元気なんじゃないのか?と勘違いされることが多かった。
はっきり言って、サボリに見られていた…。
何もできなくなって、ほんの少し好きなことが出来た時はとてもストレス発散になるし、心の安定や達成感、楽しみにも繋がる。
好きなことは出来るんだね、精神疾患を患う人に言うことじゃないと思う。
だって、好きなことすら満足に出来なくなるから。
色々なものを諦めなくちゃいけないから。また、諦めてきたから。
好きなことが少しでも出来て良かったね、と私は私に言い聞かせている。
好きなことは出来るんだね〜?、と他人に言われる前に大体が趣味や好きなことをする自分を責めている場合があるんじゃないかと思う。
病気なんだからこんな事しちゃダメだ。自分はダメ人間だから好きな事をするなんて駄目だ…。
そんなときにこんな言葉が飛んできたら、ますます鬱っぽくなる。
本を読んで知ったのだけど、双極性障害の人は鬱病の人に比べて、良いことにも悪いことにも反応しやすいのだそう。
だったら、好きなことや落ち着くことができそうな時は堂々とやるべきじゃないかと思う。
一型の場合は躁状態が酷いので注意が必要かもしれない。
でも、私は鬱の期間が長い二型なので、この方法でいいと思っている。
気分の波をうまく乗りこなせるまでは、このような自分の心を乱す言葉に過剰反応しないように心がけたい。
気をつけたいのが、言った人にも善意がある場合があること。
かかってみないと分からない病気だから、的外れだけれど良かれと思ってアドバイスをくれる人がいる。
気持ちだけはしっかり受け取って、感謝しつつ、自分の主治医が示す治療法や心と体の休息に励もう。